00283-050116 自分のことばと借りてきたことば
著作権法の試験問題を作成。
政策研究大学院大学の次年度のシラバス作成。
あるものごとを本当に理解しているかどうかは、次の2つの方法ではかることができると思います。ひとつは、そのことがらを3秒で説明できるかどうか。もうひとつは、そのことがらを小学生に説明できるかどうか。
あるものごとを3分かけて、30分かけて、3時間かけて説明することは、ちょっと勉強すれば誰でも可能です。しかし、そのものごとを3秒で説明できるのは、そのことがらを本当に理解している人だけです。
また、あるものごとを本当に理解している人は、小学生にわかるように説明できます。ゼミでときどき、難しいことを発言する人がいます。そういう人は確かによく勉強しているのですが、こなれていません。そんなときshioは決まって、「小学生にわかるようにもう一回説明してください。」と言います。書物に書いてある文言をそのまま捉えてきても、それは単なる借り物に過ぎません。借り着は似合わないのと同様、「借りてきたことば」もそれをいくら紡いでも、浮いてしまいます。なぜならそれをきちんと理解できていないからです。そのものごとを理解することによって「自分のもの」にしていれば「自分のことば」で語ることができるのです。そしてその「自分のことば」とは、極めて平明で、明解で、小学生にもわかるような表現となるのです。
この「借りてきたことば」。他人のことばを借りてきた場合のみならず、実は、自分が書いた文章であっても「借りてきたことば」になってしまう場合があります。それは、「原稿」というやつです。何かを口頭で発表する必要があるときに、その原稿を書くと、発表の現場ではそれが「過去の自分」という「他人」のことばに変容します。発表でそれを読み上げると、どこか空疎な、「借りてきたことば」の様相を呈するのです。なぜなら、その原稿はその現場の聴衆を前提としたことばではないからです。
ことばはメッセージを伝える道具です。伝える行為には必ず相手が存在します。相手があってはじめてメッセージの伝え方が規定されます。メッセージを伝えるために使うことばは相手によって異なるはずです。だから、口頭で発表するとき、相手を前にして初めて発すべきことばが決まるのです。その場でその相手や聴衆に対して心から発せられることばこそ生きたことばです。
shioは講義をするとき、絶対に原稿を用意しません。学生たちはみなさんご存じのとおり、原稿なしで3時間、しゃべり続けます。それはshioのメッセージを真摯に伝えるためです。「借り物のことば」ではなくshioのことばで。